会員の声 その1

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掲 載 日
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 大坪 昌平  2009年1月23日  村瀬 千絵子  2007年5月28日
 望月 貞夫  2008年1月3日   菅野 意智子   2007年5月27日
 久保田 毅  2007年10月4日   中川 千文   2007年5月27日
 山本 義彦   2007年6月13日   宮 秀雄   2007年5月23日
 小林 三郎   2007年6月10日   望月 喜子夫   2007年5月19日
 三輪 矩正  2007年6月9日   山口 茂   2007年5月12日
 西村 一義  2007年6月2日   中川 順一郎   2007年5月5日
 水野 茂  2007年6月2日   栗田 ひろし   2007年5月3日
 伴野 恒雄  2007年5月31日   五井 卓   2007年5月3日

会員の声 大坪 昌平

大坪 昌平   おおつぼ しょうへい

2009年1月23日
  アメリカから新しい波が生まれようとしている。皮膚の色を超えて連帯しようと言うのだ。
 赤茶けた砂漠に一筋のオアシス、ナイルの畑地帯、ここには数千年に及ぶ、一神教の戦いの歴史がある。白い皮膚キリスト教、十字軍、褐・黒の肌イスラム教、アラーのほかに神はなし。仏教、万物に仏心あり、釈迦、いきとし生けるもの、木石を尊ぶ。
 私は旅行が好きだ。外国から帰る、機の窓外は、いつも緑の平穏な姿をしている。絵も好きだ。若い頃から緑を基調とする水彩画を描いている。
 道路信号も、赤い血のいろ、危険、死。緑、安全を示す。
 竜爪山九条の会は、平和の礎、緑のハートをもつ人達だ。この仲間の一人であること、日本に住むしあわせを思う。

    大坪昌平さんの水彩画とエッセイを紹介しています。  大坪昌平 画文集『光を捉える』へ


会員の声 望月 貞夫

望月 貞夫  もちずき さだお 2008年1月3日
 その土地の民謡で替え歌を作り「九条」を歌おう。
 この『友遊デイサービス讃歌』は、沖縄の俗歌謡『十九の春』を元に作りました。静岡の東西南北の景色を織り込んであります。
 田端義夫さんが唄っている『十九の春』をYou Tubeで聴けます。 

『友遊デイサービス讃歌』

  一 龍爪山麓 静岡は 豊かな自然に 恵まれて
     東の彼方に 富士を見て 南に広がる 駿河湾

  二 西に田町と与一町 安倍の流れに 身を映し
     ここがわしらの 生きる町 笑顔が絶えない デイ友遊

  三 北に聳える 赤石は 水の恵を作り出し
     四季の移りは いろいろに 心の糸で織る人生

  四 人生いろいろ見てきたが 人の命にゃかえられぬ
     戦は不幸を招くだけ 平和の花を咲かそうよ
     九条の花を世界に咲かそうよ
               ↑
          (ここは思いきって声を張り上げる)
NPO法人クリエイト静岡勤務 「介護のことならどうぞ」 


会員の声 久保田 毅

久保田 毅  くぼた つよし 2007年10月4日
自己紹介

 一生に一度でいいから「牛乳風呂に入りたい」、これが夢。それ程牛乳 大好き人間。娘からお父さんの乳からミルクが出るよと。
 毎朝体操600回、ラケット素振り300回。大学での勤務後、帰宅して 腕立て150回、鉄アレー300回。これが私の健康保持日課。
 スポーツ全般ほか、国内・海外マラソン、サイクリング(中国大陸・ベト ナム800㎞)、カヌー、乗馬等、風を切ることが好き。
 これもそれも憲法九条あっての平和な日本、感謝しつつ守りたい。

会員の声 山本 義彦

山本 義彦   やまもと よしひこ 
2007年6月13日
 憲法9条は国際的に認められた光り輝く平和の宣言です。また憲法前 文もその思想を体現し、日本国家の活きるべき道を指し示す灯台なので す。そのことの重要性を破壊するいかなる試みも、全てはアメリカ様の御 心を実現しようとする下心に発するものにほかなりません。
 皆さん、国際社会の平和を願う心に背き、日本の戦争をもう二度と行わ ないという非戦の象徴憲法9条と民主主義を守り抜きましょう。
 アメリカでも良心的な日本研究者たちは挙って憲法9条の擁護者ばか りです。そして憲法の精神は第二次大戦前の心ある思想家たちの認識 を引き継いだ崇高な日本の進路を指し示してきました。今こそ、この21 世紀初頭の戦争推進を図るアメリカと日本の政治家にしっかりと批判を 続けて行きましょう。

会員の声 小林 三郎

小林 三郎   こばやし さぶろう
2007年6月10日
 私の現活動のひとつに「戦没船を記録する会」があります。会は第二 次大戦で戦没した輸送船(徴用船)及び乗り組んでいた船員(陸海軍人 を除く)の、誰が、いつ、何丸で、どうして戦死したかを写真と共に記録す る運動です。
 皆さん方の父兄、知友の方で、輸送船で亡くなった船員及び関係者の 詳細について、希望される方がおりましたら資料・写真を無料でお答えで きると思います。
         (主に大型船。小型船は調査続行中)

会員の声 三輪 矩正

三輪 矩正   みわ のりまさ
2007年6月9日
 核兵器のない平和で公正な世界をめざして歩き続ける、原水爆禁止平 和行進は今年で50回目を迎えました。
 私は、この平和行進に参加してこの5月、13日間、静岡県内を歩きまし た。
 沿道で手をふって応えてくれる人たちや、一緒に行進してくれた芝川町 長さん・議長さんたちの姿に感動しました。
 みんな平和を願っているのです。なのになぜ日本は逆の方向に進もう としているのでしょうか。
 憲法九条はなんとしても守りぬかなければなりません。

会員の声 西村 一義

西村 一義   にしむら かずよし
2007年6月2日
 過去、侵略戦争をし続け日本国民は勿論、被侵略の国民に対しても 甚大な損害をあたえた日本は、九条を含む平和憲法を制定して、二度と 繰り返さない事を決意しているものである。この世界に誇れる平和憲法 を改正する等、絶対反対であり理解に苦しむ。アメリカとの軍事同盟だけ を優先する政策陰謀は日本国民として絶対に許す事は出来ないし、平 和で幸せな生活を守るため、改憲の企て阻止のために結集しなければ ならないと思っている。

会員の声 水野 茂

水野 茂 みずの しげる  2007年6月2日
竜爪山から
 戦争のない平和な世を願って出兵していった若者たちのことは、ついこ のあいだのこと。そして、敗戦という苦い経験を味わったこと、もう忘れた のか。この神聖なる山頂で、静かに手を合わせてきた…。
 この山嶺には、幾つかの山城が存在していた…。今から600年前か、 400年前、おおいに乱れた世に、こんなところにも戦いになることを想定 していた、そんな歴史を今に伝えている。空堀ひとつしかない簡単な構 造から、侵略者に対し、ここに籠城して戦う城ではなく、聖地なるゆえに、 民衆たちが挙って身の安全を願い、誓い、山籠もりしたのであろう…。
 この世になって、再び「弾丸除け」の神となって若者たちを戦地に送り、市民の疎開地になることは二度と経験させられない。               
静岡古城研究会会長
最も後方に見える山が竜爪山 写真:水野 茂
最も後方に見える山が竜爪山 写真:水野 茂

会員の声 伴野 恒雄

伴野 恒雄   ともの つねお
2007年5月31日
 安部首相の責任を問いたい。
 現職の大臣が疑惑にまみれて自殺する、これ程の政治不信があるだ ろうか。その国政の権力者が憲法を改正しようとするのだから、どんな方 向に進むのか信じられない。国会答弁でもいろいろな意見があると討論 をはぐらかしながら、結局自分の意図する方向にもって行く日本の政府 の権力者に憲法改正をまかせるわけには行かない。アメリカの先兵とな らざるを得ない方向に、これから進むのだと昭和ひと桁の私は思う。

 会員の声 村瀬 千絵子

  村瀬 千絵子   むらせ ちえこ
2007年5月28日
 戦争はイヤです。これほど無駄なものはありません。戦争ほど恐ろしい ものはありません。昭和二十年六月の静岡大空襲の時、小学生の私 は、母に手を引かれアメリカの爆撃機B29の落とす爆弾の中、炎の街を 逃げ回った記憶は、今でも鮮明に残っています。
 この六十年、日本中のだれも戦死した人はいない。世界中のどこの国 とも戦争をしていない。これが九条の力だと思います。現在の平和を、あ たりまえのように甘受している私たちの頭の上に、いつミサイルが飛んで くるかもしれない世界情勢です。今九条を変えようという動きがあります が、とんでもないことです。いまこそ九条を守るべき時です。

 

 

「B29が落ちる」    

村瀬 千絵子 (当時 9才 富士見町)

 B29はキラキラと、夜目にも美しく銀色に光って落ちていく。すごい衝撃であった。
 それから後もずっと、B29がまっさかさまに落下してくる夢を見た。

 

 『 画集 静岡市空襲の記録

  街が燃える 人が燃える 』より

絵:村瀬千絵子「B29が落ちる」 『画集 静岡市空襲の記録 街が燃える 人が燃える』より
絵:村瀬千絵子「B29が落ちる」 『画集 静岡市空襲の記録 街が燃える 人が燃える』より


 会員の声 菅野 意智子

菅野 意智子   すげの いちこ
2007年5月27日

  私は77才です。小六の冬に日米開戦、春には兄の様に慕った先生を大泣きに泣き乍ら戦地に送り出しました。最愛の父や兄を徴兵された級友の深い悲しみが子供心に伝わりました。戦況の長期化、激化と共に国民の生活は窮乏を極め、私は「大人達はなぜ戦争の始まる前に反対してくれなかったのか」と思ったものでした。

 この処、教基法「改正」や改憲手続き法の国会提案、可決と戦争が足早に迫っています。此処で改憲を阻止しなければ又戦争になります。愛しい子や孫に塗炭の苦しみを遇わせない為にと頑張ってみたものの、国会は多数決で可決。併しこの多数決は郵政民営化によって泡の様に生まれた郵政議員らに依る多数です。そう思うと本当に悔しいですね。これから日々の生活は苦しくなるばかりですが、お互いに「貧すれば鈍す」とならぬ様に、世間の動静をよく見なければと思います。そして戦争反対の一点で手をつなげる人を九条の会にお誘いしてゆきましょう。


 会員の声 中川 千文

中川 千文   なかがわ ちふみ
2007年5月27日

 私は高校の家庭科教員です。安部首相の数に任せた強引なやり方は許せません。それに、投票法の「18才以上」は、今の若者と教育を見くびり馬鹿にしています。怒りは二倍です。

   しかし負ける訳にはいきません。投票法が通ってから、「憲法9条が変えられたら、貧しい若者が戦争に行かされるんだよ。税金も上がるし、戦争になったら食糧は来なくなるんだよ。」などと毎回の授業で内容に合わせて語っています。時間は3年しかありません。


 会員の声 宮 秀雄

 宮 秀雄   みや ひでお
2007年5月23日

 1941年生まれの私は、東京の下町で度重なる空襲を受けたが生き残った。戦後、小学校時代に担任教師に強く影響を受けた。彼はくりかえし強調した。「戦前の軍国主義と天皇制教育はまちがっていた。再び国にだまされるような国民になってはいけない。多くの犠牲とその反省の上に新憲法がつくられたのだ。これから皆で民主主義の社会をつくってゆくのだ。民主主義は徹底した相互の討論の上に成立するのだ。君達、討論せよ。発言せよ」と熱く説かれた。これが私の戦後教育の原体験である。

  憲法を教え民主主義について青年達と語り合いたいと思い、高校の社会科教員になった。・・・以来40余年。その憲法が危ない。


 会員の声 望月 喜子夫

望月 喜子夫  もちずき きねお  2007年5月19日

 「アメリカ人の一言」

 数十年前の事ですが、ちょっとした事で知り合ったアメリカ人(男性)の一言が、今でも忘れられないで、私の耳に残っている。

 その一言とは、「日本人がうらやましい」と云う。「何が?」と問い返した私に彼は、「太平洋戦争に勝利しても、アメリカ人は今でも戦場(当時ベトナム戦争中)に駆り出され、多くの若者が戦死している。敗戦国の日本は、あの戦争以降一人の戦死者も出していない。そうした日本人が本当にうらやましい。」と、自国の政治を嘆いていた。

  彼がうらやむように、現在まで戦争に巻き込まれる事無くこれたのも、現在の平和憲法があったればこそと思う。 


 会員の声 山口 茂

山口 茂   やまぐち しげる
2007年5月12日

 戦後20年目に、新潟のお母さんたちが作った反戦を訴える小冊子が私の手もとにあります。それによると、ある集まりで、一人の若い女性が言ったといいます。

 「この前の戦争のとき、どうしてお母さんたちは、戦争反対で立ち上がってくれなかったんですか」

 戦前の社会―少しでも反戦を口にするとすぐ特高に捕まり、戦争の真の様子は国民には全く知らされない全体主義の国―で、どうして戦争反対が言えたでしょう。

 今はまだ自由に自分の意見を言えます。今のうちに「九条を守る」行動に立ち上がりましょう。


(S18年12月生まれ)
   著書 『知られざる西南戦争
       『輝いていた日々』・他

 会員の声 中川 順一郎

中川 順一郎  なかがわ じゅんいちろう 2007年5月5日

 「憲法九条は世界の誇り」

 昭和十九年(1944)十二月、台湾で軍隊に召集され、敗戦まで僅か九ヶ月間でしたが太平洋戦争に参加させられ、同じ部屋の友を失ったり、自分も二度死に直面しました。

 戦後教職に在って、文部省から「新しい憲法のはなし」の本が各学校に配布され、日本は兵器を持たないで戦争を放棄する憲法九条ができ、これは世界に誇るすばらしいことですと示され、私はこのことを生徒に訴えてきました。 

 また、私達教師は「教え子を再び戦場に送らない」と誓い合ってきました。 今の日本は九条があっても膨大な軍備があります。九条が変えられたら、核兵器を持とうという論議もでてくると思います。

 今こそ、憲法九条改正に絶対に反対します。 


 会員の声 栗田 ひろし

栗田 ひろし   くりた ひろし 2007年5月3日

 私は陸軍幼年学校の二年生として終戦を迎えましたが、戦後の学習の中で日本が起こして来た戦争が、「平和」や「自衛」のための戦争でなく、領土拡張のための戦争だったことを知りました。私は俳句作家として、日本の自然、風土、そこに生活する人々を愛して作句していますが、戦争はそれらすべてを壊してしまいます。     

           戦争が廊下の奥に立ってゐた 

 これは渡辺白泉の句ですが、そんな不安を感ずる日本になって来まし た。憲法改正を急ぐ動きもその大きな一つです。武力で真に平和な世界 はつくれません。憲法九条を守るため微力をつくしたいと思います。


 会員の声 五井 卓

五井 卓   ごい たかし 2007年5月3日
 「戦争を知らない世代が親になり、戦争の悲惨さ、平和の大切さをどのように子どもたちに伝えていくか。」それをコンセプトに取り組んできました。この平和な社会が戦前のような社会に後戻りするわけがないと誰でもが思っています。しかし、先の大戦で日本が侵した数々の蛮行を、隠蔽しようとする動きが強まっている現状を見た時、本当に安心しきっていて大丈夫なのだろうかと不安を感じざるを得ません

共産党員が迫害された。

私は少し不安だったが私は党員でないからじっとしていた。

社会党員が迫害された。

私はさらに不安を感じたが私は党員でないから、やはり沈黙していた。

学校が、図書館が、ユダヤ人が弾圧された。

自分はそのたびに不安を増したが、やはりなお私は行動にでなかった。

教会が迫害された。

私は牧師だから立ち上がった。

しかし、その時は遅すぎた。

                              牧師 マルチン・ニーメラー